約10,000年前 | ・ | 守義の伍領,高里の木戸口から,石器が出土。 |
・ | 菅沼の田ノ口,高里の木戸口,保永の布路,小金沢,田代の長者屋敷などから,縄文式土器が出土。 | |
約2,000年前 | ・ | 菅沼のヌメガイツ,守義の小夫田,高里の木戸口,清岳のタイコ屋敷などから弥生式土器が出土。 |
904年 | ・ | 宝飫群を分けて設楽郡が誕生。作手は多原郷となる。 |
1868年 | ・ | 上菅沼村と下菅沼村が合併して,菅沼村となる。 |
1878年 | ・ | 設楽郡が南北に分かれた。 |
・ | 村の合併。(作手は17の村になった。) | |
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明治39年 | ・ | 9つの村(巴村,田原村,菅沼村,高松村,田代村,杉平村,保永村,荒原村,大和田村)が合併して作手村ができた。甘泉寺の一部を役場とした。 |
明治41年 | ・ | 見代に県下で二番目の発電所ができた。 |
大正6年 | ・ | 作手地内の挙母街道の改修が始まった。 |
大正10年 | ・ | 養蚕がさかんで,村内のクワ畑はこのころが一番多かった。 |
大正13年 | ・ | 新城と清岳の間てトラック運送が始まった。 |
大正14年 | ・ | 甘泉寺のコウヤマキが,愛知県の天然記念物に指定された。 |
昭和3年 | ・ | 高里字西ノ内に役場を新築した。 |
・ | 新城と清岳の間に乗合自動車ができた。 | |
昭和13年 | ・ | この年から農繁託児所を,春一回,村の学校やお寺で開くようになった。 |
昭和14年 | ・ | 青年学校が義務制になった。 |
昭和15年 | ・ | 正眼寺から城山に戦没者の忠魂碑がうつされた。 |
昭和16年 | ・ | 小学校が国民学校になった。 |
・ | 作手村森林組合ができた。 | |
・ | 太平洋戦争がおこった。 | |
昭和19年 | ・ | 作手農林学校が,甲種実業学校になった |
・ | 町から疎開してくる人が多くなった。 | |
昭和20年 | ・ | 太平洋戦争がおわった。 |
昭和22年 | ・ | 6・3制で国民学校が小学校になり,新制中学ができた。 |
・ | 村長選挙がはじめて行なわれた。 | |
・ | 巴小学校が火事で焼失。 | |
・ | 黒瀬と田原で,国による開拓事業始まる。 | |
昭和23年 | ・ | 下山村より北中河内が分村して作手村に合併した。 |
・ | 作手村農業協同組合ができた。 | |
昭和24年 | ・ | 作手農林学校が新地高校作手分校(定時制)になった。 |
昭和25年 | ・ | このころから,婦人会が中心になって,台所改善がすすめられた。 |
昭和28年 | ・ | 1月13日に降った雪は,それまで40年も例がなかったほとの大雪で,20〜70m積もった。 |
・ | 土地改良区ができ暗渠排水・客土なとの工事が始まった。 | |
・ | 9月25日,台風13号による災害発生。 | |
昭和29年 | ・ | 見代で茶づくりがはじまった。 |
昭和31年 | ・ | 黒瀬開拓地と長ノ山,そのほか末灯のところに電灯がつき,村中に電気がいきわたった。 |
昭和32年 | ・ | 作手の茶が全国品評会で農林大臣賓に選ばれた。 |
・ | 作手村酪農組合ができた。 | |
昭和33年 | ・ | 8月25日,26日の台風17号で大被害を受けた。 |
昭和34年 | ・ | 見代発電所が廃止された。 |
・ | 9月26日の台風15号(伊勢湾台風)で,村は大きな被害を受けた。高松小学校の校舎が倒壊した。 | |
昭和35年 | ・ | 作手分校が,愛知県のなかでただ一つの全日制分校になった。 |
・ | 作手村誌ができた。 | |
・ | このころから,テレビが増えてきた。 | |
昭和36年 | ・ | 高松・田代・旭の3つの小学校を統合して,協和小学校がつくられた。 |
・ | 作手村診療所・作手村母子健康センターが新しく建てられた | |
昭和37年 | ・ | 新城商工会作手支部ができた。 |
・ | 北中学校と中央中学校を統合し,作手中学校となった。 | |
・ | 7月27日の台風7号で大被害をうけた。南中学校の運動場の3分の1が流された。 | |
・ | 菅守小学校が,北中学のあとへ移った。 | |
・ | 有線放送電話が始まった。 | |
昭和38年 | ・ | このころから,村に自動車が増えはじめた。 |
昭和39年 | ・ | 作手中学校の校舎が現在地に建設された。 |
昭和40年 | ・ | 巴保育所と開成保育所ができた。 |
・ | 市場と鴨ヶ谷で農業構造改善事業がはじまった。 | |
昭和41年 | ・ | 菅守保育所と協和保育所ができた。 |
・ | 作手村章が制定された。 | |
昭和43年 | ・ | つくで花き園芸組合がつくられた。 |
・ | 村に初めて福田紡績作手工場,作手工業,久田工業ができた。 | |
・ | 農協にライスセンターができた。 | |
昭和44年 | ・ | 巴湖のほとりに,青年の家が建てられた。 |
昭和45年 | ・ | 県道新城豊田線が,国道301号になった。 |
昭和46年 | ・ | 菅守小学校のあとに,作手村青少年野外センターができた。 |
昭和47年 | ・ | 南部診療所と北部診療所がなくなった。 |
・ | 青少年野外センターに天文台ができた。 | |
・ | 甘泉寺のコウヤマキが国の天然記念物に指定された。 | |
・ | 安城市野外センターが完成した。 | |
・ | 作手村総合庁舎ができた。 | |
昭和48年 | ・ | 本宮山スカイラインが,白鳥から頂上までできた。 |
・ | 電話が自動化され,地域集団電話に全戸,加入した。 | |
・ | 長ノ山湿原が県の天然記念物に指定された。 | |
昭和49年 | ・ | 作手南中学校が作手中学校に統合され,村の中学校は一つになった。 |
昭和50年 | ・ | 郷土資料館(旧役場)が開設された。 |
・ | 本宮山スカイラインが全面開通した。 | |
・ | 新城商工会作手支部が作手村商工会として独立した。 | |
・ | 開発センターができた。 | |
・ | 台風8号による崩土で3名が亡くなった。(岩波) | |
昭和51年 | ・ | 第1回郷土芸能祭が開催された。 |
昭和52年 | ・ | 第1回老人体育祭が開催された。 |
・ | 村の木(コウヤマキ)村の花(サギソウ)が制定された。 | |
昭和53年 | ・ | 作手分校が独立し,愛知県立作手高等学校となった。 |
・ | 文化協会が発足した。 | |
・ | 中央簡易水道第一期工事が着手された。 | |
昭和55年 | ・ | 村全域が一般電話となった。 |
・ | 大府市野外教育センターが完成した。 | |
昭和56年 | ・ | 担い手センターができた。 |
昭和57年 | ・ | 中央簡易水道が全域通水した。 |
・ | 黒瀬工業団地が完成した。 | |
昭和58年 | ・ | 海洋センターができた。 |
・ | 村民テニスコー卜ができた。 | |
昭和59年 | ・ | 初めて村営住宅ができた。 |
・ | 南部簡易水道が一部通水した。 | |
・ | 武豊町が友好町村となった。 | |
・ | 山村広場(グランド)が完成した。 | |
・ | 環境改善センターができた。 | |
昭和60年 | ・ | 村営バスが運行された。 |
・ | あじさいの村づくりが始まった。 | |
・ | 武豊町野外活動センターが完成した。 | |
昭和61年 | ・ | 村制80周年。 |
・ | 作手村初のペンションがオープンした。 | |
昭和62年 | ・ | 作手村歴史民俗資料館がオープンした。 |
昭和63年 | ・ | 明和に村営住宅が完成。 |
平成2年 | ・ | 半田市野外教育センターが完成。 |
・ | 鬼久保広場に「リフレッシュセンター」が完成。 | |
平成3年 | ・ | 作手村海外派遣研修推進制度が発足した。 |
・ | 作手村農村情報連絡施設(防災無線)が完成。 | |
平成4年 | ・ | 作手村生き生き定住報奨金制度の発足。 |
・ | 開成小学校体育館が完成。 | |
平成5年 | ・ | 作手村,鳳来町,新城市の各農協が合併し,「愛知東農協」(JA愛知東)となった。 |
平成6年 | ・ | 作手村カントリークラブがオープン。 |
・ | 市場地区(タイコヤシキ)の宅地造成が完成。 | |
平成8年 | ・ | 消防広域化(新城消防署作手出張所)スタート。 |
・ | 農林業公社「つくで」発足。 | |
・ | シルバー人材センター,デイサービス開始。 | |
平成9年 | ・ | 作手郵便局開局 |
平成10年 | ・ | 創造の森城山公園オープン |
平成11年 | ・ | 虹の郷オープン |
平成12年 | ・ | 一般廃棄物最終処分場完成 |
平成13年 | ・ | 公式ホームページ開設 |
・ | 「つくで手作り村」オープン | |
平成14年 | ・ | |
平成17年 | ・ | 10月,新城市,鳳来町と合併し,新市「新城市」 誕生。 |