アジサイの村づくり
      自らの手で,つくりだした“ふるさと”を自分たちの子や孫へ贈る。
 こんなことができたなら,どんなに素晴らしいことでしょう。
 「アジサイの村づくり」とは,自分の生まれ住んでいる“つくでむら”という,ふるさとを再発見していただくとともに,つくでむらを楽しみながら,子どもからお年寄りまで全員参加で,ふるさとを手作りをしようということです。
 この「アジサイの村づくり」という合い言葉を口ずさみながら間近に迫りつつある21世紀に,あるいは2006年におとずれる村制100周年に,また作手村を愛してくださっている多くの皆様に,素晴らしい「アジサイの村」をプレゼントしたいと思います。

 サア,始めましょう  
アジサイの村づくり
≫≫アジサイを育てましょう


 私達のふる里作手村(つくでむら)は、中央部に水田が広がり、その周囲を丘状の山々が取り囲む、さながら緑の縁の厚い盆を持ち上げた様な地形で、外部と距離を隔てていることもあり、村制施行以来合併することもなく、平成8年5月に無事90周年を迎えることができました。
 作手の名称は、荘園時代に「作手権」と称する私有権が認められた水田があった名残りとする説と、古代、作手村を被っていた湖が干上がって広大な湿原と化し、その湿原を意味する「くて」が訛ったとする説などがあります。
半田野外教育センター 古来、この湿原に白鳥の飛来があり、このことにより湿原が肥沃な水田に変わったことから、白鳥に感謝して全国一の数の白鳥神社が建立されています。
 また、村の8割以上が森林で、降雨量は年間約2300oにも達します。この様なことから「三河国」の地名発祥の地といわれる白髭神社には三河三川の碑があり、また村の中央部の水田の真ん中には、一級河川の矢作川水系巴川と豊川水系巴川とを南北に分かつ分水点があるなど三河地方の水源地域となっています。
 今も語り継がれている昔ばなしに、三河国の三大長者の一人、米福長者が作手村に住んでいたといわれ、数々の出土品が確認されています。なお,戦国時代に本格的な籠城戦で名高い「長篠の合戦」で長篠城主として城を守り通し、その武勲によ徳川家康の長女亀姫を娶った奥平信昌は作手村の出身であり,いずれも,作手村の豊かな水田と森林とに裏付けされてのことです。
 また、古くは天保10年に愛知県は伊良湖の歌人糟谷磯丸が避暑地として過ごした土地柄であり、最近では、愛知県内の安城市・半田市・大府市・武豊町がそれぞれ野外教育センターを設置するなど、作手村の自然が大いに活用されています。なお村としては珍しく県立の高校があり、村内で保育園から高校までの一貫教育が可能となっています。
 こうしたことから美しい水田に美しい森林、そして美しい清流に美しい真心をキーワードに「住みたくなるふる里つくで」を目指して村づくりが進められています。


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