善 福 寺 善福寺の仁王門 ここは、善福寺。 作手最古の真言宗善福寺の赤い仁王門が見える。うっそうと茂っ た木立の石段を登ると、奈良東大寺大仏殿を再興した俊乗坊重源 が在住したと伝えられる善福寺の本殿がある。 善福寺縁起に「日本武尊東夷ヲ征シ玉フ当所二至リ見玉フニ八 方峯高ク中平ナリ…郷民開キ玉フ田数多出来有シ故郷名ヲ田原ノ 郷卜宣フナリ……」とある。その後、弘法大師作と伝わる十一面 観音の手が損失し、中興開山の真済僧正が手を作り、作手ノ郷と 改めたといわれる。 また、田原坂は、田原郷の前にある坂だから田原坂。額田町宮 崎の地名は善福寺に行幸の聖徳太子が彫刻した日本武尊の像を紀 り白鳥神社としたが、その神社の先にあるから宮崎というと伝え られる。 また、太古から作手村には湿原地帯が点々とあった。この湿原 地帯のことを方言で「グテ」という。「グテ」に「ツ」という接 頭語がついて「ツグテ」となり、それが呼びやすいように転化し て「ツクデ」と発音されたところから、村の名がおこったという 説もある。
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