作手見聞録

**作手の七不思議**

その1 平地分水点
 かつて,作手最大の湿原の中心地であった「乱橋」。流れの定まらない様子が地
名にもなっています。
 南流は豊川水系巴川,北流は矢作川水系巴川といい両川ともに同名の巴川である
ことから,その昔,相思相愛の男女が両親の許しをもらえず,泣き別れしたとの伝
説が残っています。

その2 白鳥神社
 古来,作手高原に白鳥が飛来していたそうです。この白鳥の糞によってお米がた
くさんとれるようになりました。このようなことから白鳥への恩恵に感謝して十一
か所(全国最多)もの白鳥神社が建立されたということです。
 また驚いたことに作手,岐阜の土岐,七宗,白鳥の各白鳥神社は,直線上に位置
しています。このことからも,古代白鳥が日本海を線上に往来していたことがわか
ります。

その3 米福長者
 なんと矢作の兼高長者,宝飯長者とともに,三河の三長者のひとり米福長者が作
手に住んでいたということです。
 米福長者は作手の湿原を水田に変え米づくりに,そして鍛冶,酒造,馬の市など
で富を築いたといわれています。

その4 鏡岩
 その昔、鏡状の岩に太陽の光が浜名湖に反射して、しらす漁ができなくなったた
め漁民が来て表面を削り取ったといわれています。
 周囲を高い山に囲まれていますが、不思議とこの大岩からのみ浜名湖を望むこと
ができます。
 一度ご覧あれ。

その5 姶良火山の灰
 第四紀更新生末期に,九州鹿児島湾の一番奥まった姶良町付近で、火山の大爆発
がありました。その時でさたカルデラが鹿児島湾で桜鳥は中央火口丘にあたり,有
名なシラス台地は、この火山灰の堆積によってできたといわれています。
 姶良火山の灰は、日本全土に飛乱し作手湿原の泥炭層の中からも発見することが
できます。
 この姶良火山の灰とともに泥炭層の中には多くの花粉や昆虫の死骸が含まれてお
り、昔の気候や年代を知る貴重な手がかりとして研究が進められています。

その6 道頓堀
 初めて本格的に鉄砲を取り入れたことでも歴史に名高い長篠の合戦で、磔刑にさ
れた鳥居強右衝門勝商の妻子は作手村の清岳に住んでいたとのことです。またこの
時、長篠城を守り通した奥平信昌は作手村の出身で、この時の武勲により徳川家康
の長女亀姫と結婚しました。その四男忠明は家康の養子となり、元和元年大阪城主
(十万石)に、寛永16年に姫路城主(18万石)となりました。
 なお現在大阪随一の繁華街道頓堀は、忠明が在城中に道頓に命じて作らせたもの
だそうです。

その7 埋もれ木
 今から約二万年前の作手村には、中北部三周に広大な湖があったそうです。
 それが地殻変動(地震、活断層等)によって、北へ南へ東へと湖水が流れ出し段
階的に干上がりました。そして露出した湖底には泥炭が堆積し、湿原ができました。
埋もれ木は湖水が流れでた際になぎ倒された樹木で、泥炭層と湖底層との間にねむ
るがごとく横たわっています。


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